2014年01月16日
藪入り
ヤーマン。バナナマフィンだす。
今日は「藪入り」という日なんだそうですが、藪入りっち知ってますか?
というわけで、この「藪入り」をウィキペディアさんで調べたところ「商家などに住み込み奉公していた丁稚や女中など奉公人が実家へと帰ることのできた休日」と記載されてました。1月と7月の16日が「藪入り」とされ、小正月(1月15日)とお盆(7月15日)にあわせて実家へ戻ることができたようなんですね。

東海道五十三次の日本橋 江戸の活気が伝わる名画ですな♪
あらら。なんだかステキな日じゃないの♪と思いつつ、さらに調べますと、落語の演目に「藪入り」というのがありました。
お♪ その名前は聞き覚えがあるぞ♪・・・というわけで、またまた ウィキペディアさん で調べてみますと、次のようなあらすじが紹介されてました。
住み込みで奉公をする子供が一日だけ親元へ帰ることが許される藪入りの日。門前で立派に挨拶をする様子を見て、我が子の成長ぶりに両親は感涙する。そして今日のために考えていた我が子へのもてなしとして、お祭りへ連れて行ったり、好物を食べさせたりすることを考えるが、その前にまずは湯屋へ汗を流しに行かせると、子供が紙入れを忘れている。その妙な膨らみに違和感を覚え、母親が中を見ると、紙入れの中には15両もの大金が入っていた。奉公先の小遣いだと考えるのにはあまりにも高額なため、二人は亀吉が何か悪事に手を染めたのではという疑念を抱き、とりあえず我が子の帰りを落ち着いて待とうということになるが、待つ時間が苛立ちを募らせ、喧嘩っ早い職人肌の父親は帰ってきた亀吉を有無を言わさず殴り飛ばして、なんで悪事になんか手を染めたんだと泣きながら問いただすと、亀吉はその15両は悪事で手にした金ではないと答える。憤る父を制止し、母親がじゃあどうやって手にした金なのかと聞くと、なんでも巷で流行るペストの予防のためにお役所が子供にねずみ取りをさせ、その鼠の懸賞で手にした金で、今日の藪入りのために預かっていた番頭さんから返してもらってきたところなのだと言う。我が子が悪事に走ってなかったことを知ると共に、我が子の強運を褒め讃え、父親は「これもご主人への忠(チュウ)のおかげなんだ」と言うのであった。
うーん。ステキな人情噺でございます。40歳を過ぎてから、めっぽう涙もろくなってしまったワタクシめ、あらすじを読んだだけで目頭が熱くなってしまいました。
で・・・
ここで終われば、めでたしめでたしなんですけども、ここにきて、ワンの目に留まった気になるワードがございました。
この「藪入り」という落語は「鼠の懸賞」という話を改作したものなんだそうです。さらには「鼠の懸賞」という話も改作で出来上がったもので、もともとの話は「お釜さま」という話であったわけです。
はい。ここで、カンの鋭い人は気づいたかもしれませんね。この元々の「お釜さま」という話は、レゲエ業界でいうところの「バティマン」の話なんです。・・・というわけで、そのあらすじをウィキペディアさんからご紹介すると
ある店の番頭が、同じ奉公人仲間の小僧をもてあそんでいたが、その代償として金を与えていた。さて、住み込みの奉公人でも1日だけ親元に帰ることができる藪入りの日。例のあわれな小僧も、両親が待ちわびる実家へ帰っていった。門口で立派に挨拶する小僧。両親はわが子の成長ぶりに感心し、とりあえず汗を流してやろうと、子供を湯屋へやる。ところが、残された子供の紙入れ(財布)の中を見た母は、中に大金が入っていることに驚く。奉公先での小遣いとは考えられず、魔がさしたのでは、と気をもみ出す。わが子を信じろと妻を叱り付ける父親も、結局は帰ってきた子供を殴りつけてしまう。「盗んだんじゃねえ」という息子は、番頭との関係を説明する。オチは父親「お釜(上)さまのおかげだ」
日本の習俗の中には衆道というのがあったのは知識として知ってはいましたが、それが落語になって、しかも一般的に受け入れられていたものだとはオドロキでした。
というわけで、現代に生まれて良かったわ・・・と胸をなでおろしたワタクシめでした。
おあとがよろしいようで。
今日は「藪入り」という日なんだそうですが、藪入りっち知ってますか?
というわけで、この「藪入り」をウィキペディアさんで調べたところ「商家などに住み込み奉公していた丁稚や女中など奉公人が実家へと帰ることのできた休日」と記載されてました。1月と7月の16日が「藪入り」とされ、小正月(1月15日)とお盆(7月15日)にあわせて実家へ戻ることができたようなんですね。

東海道五十三次の日本橋 江戸の活気が伝わる名画ですな♪
あらら。なんだかステキな日じゃないの♪と思いつつ、さらに調べますと、落語の演目に「藪入り」というのがありました。
お♪ その名前は聞き覚えがあるぞ♪・・・というわけで、またまた ウィキペディアさん で調べてみますと、次のようなあらすじが紹介されてました。
住み込みで奉公をする子供が一日だけ親元へ帰ることが許される藪入りの日。門前で立派に挨拶をする様子を見て、我が子の成長ぶりに両親は感涙する。そして今日のために考えていた我が子へのもてなしとして、お祭りへ連れて行ったり、好物を食べさせたりすることを考えるが、その前にまずは湯屋へ汗を流しに行かせると、子供が紙入れを忘れている。その妙な膨らみに違和感を覚え、母親が中を見ると、紙入れの中には15両もの大金が入っていた。奉公先の小遣いだと考えるのにはあまりにも高額なため、二人は亀吉が何か悪事に手を染めたのではという疑念を抱き、とりあえず我が子の帰りを落ち着いて待とうということになるが、待つ時間が苛立ちを募らせ、喧嘩っ早い職人肌の父親は帰ってきた亀吉を有無を言わさず殴り飛ばして、なんで悪事になんか手を染めたんだと泣きながら問いただすと、亀吉はその15両は悪事で手にした金ではないと答える。憤る父を制止し、母親がじゃあどうやって手にした金なのかと聞くと、なんでも巷で流行るペストの予防のためにお役所が子供にねずみ取りをさせ、その鼠の懸賞で手にした金で、今日の藪入りのために預かっていた番頭さんから返してもらってきたところなのだと言う。我が子が悪事に走ってなかったことを知ると共に、我が子の強運を褒め讃え、父親は「これもご主人への忠(チュウ)のおかげなんだ」と言うのであった。
うーん。ステキな人情噺でございます。40歳を過ぎてから、めっぽう涙もろくなってしまったワタクシめ、あらすじを読んだだけで目頭が熱くなってしまいました。
で・・・
ここで終われば、めでたしめでたしなんですけども、ここにきて、ワンの目に留まった気になるワードがございました。
この「藪入り」という落語は「鼠の懸賞」という話を改作したものなんだそうです。さらには「鼠の懸賞」という話も改作で出来上がったもので、もともとの話は「お釜さま」という話であったわけです。
はい。ここで、カンの鋭い人は気づいたかもしれませんね。この元々の「お釜さま」という話は、レゲエ業界でいうところの「バティマン」の話なんです。・・・というわけで、そのあらすじをウィキペディアさんからご紹介すると
ある店の番頭が、同じ奉公人仲間の小僧をもてあそんでいたが、その代償として金を与えていた。さて、住み込みの奉公人でも1日だけ親元に帰ることができる藪入りの日。例のあわれな小僧も、両親が待ちわびる実家へ帰っていった。門口で立派に挨拶する小僧。両親はわが子の成長ぶりに感心し、とりあえず汗を流してやろうと、子供を湯屋へやる。ところが、残された子供の紙入れ(財布)の中を見た母は、中に大金が入っていることに驚く。奉公先での小遣いとは考えられず、魔がさしたのでは、と気をもみ出す。わが子を信じろと妻を叱り付ける父親も、結局は帰ってきた子供を殴りつけてしまう。「盗んだんじゃねえ」という息子は、番頭との関係を説明する。オチは父親「お釜(上)さまのおかげだ」
日本の習俗の中には衆道というのがあったのは知識として知ってはいましたが、それが落語になって、しかも一般的に受け入れられていたものだとはオドロキでした。
というわけで、現代に生まれて良かったわ・・・と胸をなでおろしたワタクシめでした。
おあとがよろしいようで。
Posted by バナナマフィン at 12:00│Comments(0)
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